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神在月と心願成就。

出雲大社に参拝して来ました。


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先日は彼岸でお墓参りに行ったのですが、お盆に行った時とは違って涼しくて心持ち念入りにお掃除出来ました。
本当に墓参りなんてものは生きている側の為にある行いだと思います。
そんなところに祖母が居るわけはないのに、墓参りに行く時は祖母に会いに行くような気分になります。
生きている間は鬼かと思うくらい厳しく、五月蝿いくらいよく喋る祖母だったのに当り前ですが墓石は何も語りません。
だから私が一方的に語りかけるだけになってしまいます。人は生きている間にしか人を大切には出来ないのです
大切な人が亡くなってしまうと抱え切れない後悔と悲しみに押し潰されるような心地になって、生きていた内にしてしまった事をなかった事にしたくて、そうする事でしか自分を保てなくて人は人が亡くなってから大切にしようとしてしまう。


そういう気持ちもあって、連休に出掛けるだなんて阿呆のすることだと思いつつもドライブには付き合うのですが、行き先はわりと指定出来るので今回もちょっと遠出になりますが、出雲大社を希望したのです。
今年の初めにはどうしてだか龍の年になるという漠然とした感覚があって、それはもしかしたら私のただの勘違いかもしれなくて、それでもふと気がつせばいつも快晴の日も俄雨の日にも空に龍の存在を感じていました。
だだ今年産まれる子はかなりエネルギッシュな個性を持って産まれてくるだろうこと。
出雲大社のおみくじは吉とか凶ではないんですね。
その人へのアドバイス的な神託なんです。

そして龍の加護を受けるべき対象は私ではなくニョロと旦那さんらしいと感じていたら、本日旦那とニョロは同じおみくじを引き当てました。で、私はどうだったかというと、あまり良いとは言えない結果だったのですけれど、とりあえず旦那とニョロのが良かったので嬉しい。
それでもなんとなくですが龍の年は来年は続かない気がするのです。
なんの根拠もないことですが、来年を何の年だと思うのかは現時点では不明なままですが、今からもう来年へ向けてのアクションは必要なきがしたんです。

来月は神無月ですが、島根では神在月と言って凄く混むらしいんです。
どうしても祈願したい事があったのですが、神在月では旅館やホテル、民宿も一杯になると聞いては、泊まるつもりないけど大社も道も混むのではないか?という懸念があったので……。

参拝した後は神在月に八百万の神々をお迎えするという稲佐の浜を見て来ました。
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私は普段穏やかな瀬戸内海を見ていて、日本海は波が荒いというイメージがあったのですけれど、稲佐の浜はまさに八百万の神々がやってくるに相応しいような凪いだ海でした。


鳥取や島根を訪れるといつも不思議な感覚に包まれるのですが、なんと言うか古の時代から受け継がれて来たであろう空間にお邪魔している感覚になるのです。
本当に上手く言えないのですけど、薄いベールのかかった地域というのが確かにあって、殆ど無神論者に近い私ですら無条件に大いなる自然の存在のように感じるのですから、普段からそういった感覚が鋭敏な方はビシバシ感じ取れる何かがあるのではないかなと思います。
今回訪れた稲佐の浜は初めから八百万の神々をお迎えする場所だという予備知識があって行ったのですけど、白兎海岸などは初めて訪れた時そこが白兎海岸だと知らずに「なんだか大国主命がうさぎを助けたところってこんなところだろうか」って思ったんですね。
それで少し歩いてみたら白兎の像があって、え、ここ本当に神話に出て来たあの場所?って思って案内板を探したんです。
あの時の震えるような恐れにも似た感動。もちろん神話通りのことがその海岸で起こったわけじゃないのでしょうけれど、『そう言われる』という場所に一体何があるのか、掴めそうで掴めない霧を眼前にしているようです。
まさか「ヨッシャ、ここ観光名所にしたろ。えろう儲かるでえ」と町おこしよろしく始めたわけでもないでしょうし…。
はるか昔に昔の人から見たら奇跡に見えるような何かがあったのか、それとも古からの信仰によってその地に格式が宿るものなのか…。

何れにしても行動するのは自分です。
私の行動を自然の存在に見守っていただけますように。

心願成就!





by Occupation-woman | 2020-09-21 21:12 | カテゴライズするほどでもない独り言